日本海側と太平洋側の物流の結節点、沼田城

火坂雅志著「真田三代 第十章 変転」の下記の件を読んで興味をもち、群馬県にある沼田城址に行ってきました。

 生前、幸隆は、
—–沼田城さえ奪えば、わが真田氏の力は、何倍にも増すであろうものを・・・・・・。
繰りごとのように言っていた。
それも道理であろう。沼田城は、越後と上州を結ぶ軍事上の要地であると同時に、日本海側と太平洋側の物流の結節点でもある。
当時、最大の輸送能力を誇った交通機関は、
—–舟運
であった。一度に多くの荷が積載可能な船は、馬を使った陸上交通にくらべて、はるかに輸送効率がいい。
上方と、加賀、能登、越中、越後など北陸の湊々のあいだには、古くより北国船の舟運によって海の道がひらけている。このうち、越後の新潟湊で下ろされた荷は、川船に積み替えられ、信濃川、さらには魚野川をさかのぼって上流へ運ばれる。その舟運の終着点が、魚沼郡の六日町である。
物流の道は、そこで終わりではない。
六日町で馬の背に荷を積み替え、国境の清水峠、あるいは三国峠を越えて下ったところが沼田である。
荷は、沼田でふたたび川船に積み込まれ、利根川を下って関東各地へ流通していく。むろん、逆に関東の物資が、峠超えで日本海側へ運ばれる経路もある。いずれにせよ、越後と関東を往き来する荷は、必ず沼田を通ることになる。
日本海側と太平洋側を結ぶ流通の道は、ほかにもある。信濃川(長野県内では千曲川)をさかのぼり、松代、あるいは上田で荷を積み替えたのち、鳥居峠を越えて吾妻郡の中之条を経由し、利根川の舟運に通じるルートである。また、上田から碓氷峠超えで、倉賀野付近で利根川舟運に通じるルートもある。
吾妻郡に進出した真田幸隆は、この信濃と上野を結ぶ流通路を押さえ、今日の真田氏発展の経済的な原動力とした。
これに加え、沼田を押さえれば、真田氏は上信越国境の物流の道を完全に掌握することになる。

沼田城址で入手した沼田市教育委員会文化財保護課が発行している、「発掘された真田の城 沼田城跡」という冊子によると

沼田台地の北西端、利根川と薄根川の合流点に面した台地の縁片に沼田城跡は位置します。利根川・薄根川の低位河岸段丘面との比高差は80mあり、北側及び西側の眺望が最も効く位置に当たります。

川よりの沼田駅から80mほど高い位置に上った沼田城址からの眺め。

入口

城址の敷地内に檻に入った熊がいました。

これから、沼田城址を訪れる方には、沼田駅に置いてある観光案内が充実しているので、こちらを入手してから、沼田城址を目指すことをお勧めします。
私は、観光案内を見落として、Googleマップを頼りに沼田駅から歩いていったのですが、かなり遠回りしていました。


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